ひらいでみほの「その気になれば」

「その気になればブログも書けるさ!」と言わなきゃいけないほど、ブログって書くの大変なので、先に言い訳しておきます。「その気になれば、書きます!」

無気力を感じないため⁇

久しぶりに何の予定もない日は、

 

凄く気持ちが解放される時もあるし、

 

緊張の糸が切れて、

ふわふわと地に足がつかない感じで、

 

それまでの忙しさからの落差で、

ガターンと、落ち込んでしまう時もある。

 

そういう時に出てくるのが、

私の場合、過食とかお酒飲むとかいう行為で、

 

これって、

やってしまうと凄く疲れるし、

翌日の目覚めも悪いしで、

出来ればやりたくないのだけど、

 

今でも月イチか、2〜3回の割で、

出てしまうんですね。

 

少しだけ、以前よりもマシになったのは、

やってしまった〜、

なんて自分はダメなんだ〜、

という気持ちに100パーセント支配されるだけでなく、

 

なぜこうなったのか?

と、

すこしでも、分析する余裕があること。

 

で、今回思ったのは、

 

『無力感を感じないために(過食・飲酒)をしてる』ということ。

 

いつもそう、というわけではないでしょうけど、

今回の場合はコレかな?と。

 

無力感、あと、

『自分が感じていることは間違っている』

という感覚、かな。

 

これは子供時代からずーっとあるのだけど、

 

例えば、

これがキライとか、

ここに行きたくないとか、

そういう感じって、理由が明確じゃなくて、

とくに子供時代は、『なぜそう思うの?』と聞かれても、明確に答えられずに黙り込んでしまうと、

 

黙るのはずるい、

何か言いなさい、

と言われてしまって、

 

どうしたらいいのかわからなくなってしまう。

 

その時感じたキツさやどうしようもないやるせないきもちが、

心の中でずっとわだかまっていて、

同じような状況に出くわすと、

芋づる式にずるずる〜っと、自動的に、

思い出されるんです。

 

こんな風に思う自分はダメだとか、

その状況に対して為すすべのない絶望感とか、

何もやりたくない自分とか、

とにかく、不快な感情を紛らわすために、

 

食べ物を詰め込む。

酩酊する。

 

昨日も結局やってしまったわけですが、

第2ラウンドに突入する前に、

歯磨きしてシャワーを浴びて、

寝逃げ

 

こういう、

『不健康な発散行為』の代償行為のことを、

『置換行為』というそうな。

 

寝逃げから目覚めて、

今朝、思いついた置換行為を書き出してみると、

 

寝逃げ

・歯磨き

・シャワー

・歩きに行く

・走りに行く

・お香を焚く

・呼吸法、瞑想を行う

 

などなど。

 

これらは書き出しておくだけではなく、

日頃から練習しておくことが大切だそうで、

 

とくに、瞑想法や呼吸法などは、

マスターしておくと、

普段のイライラやモヤモヤ、

緊張の緩和にも役立つとか。

 

あとは、

日記をつけるなどして、

過食が起こった前後、何が起こっていたか、

体調や出来事などを記録しておき、

予定を立てこみすぎないとか、

休養をとるとか、

過食が起こらないパターンを知ることも大切だそうな。

 

こういうことって、

凄く地味で、細々してて、

 

淡々と繰り返していくことで、

 

実は、かなり苦手分野。

 

魔法のように、パッと治るとか、

ガラッと人生変わるような薬とか思考とか、

 

そんなの無いってわかっていても、

求めてしまうんだよなぁ…。

 

過食や飲酒のことに限らず、

これは人生についても言えること。

 

『こうすればいいよ』って、

魔法の答えを求めてしまう。

 

写真は昨日作った(普通に食べた)パスタ。

 

キャベツと椎茸と、

くるみのペペロンチーノ。

 

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